栄華感

主演/永瀬正敏 松たか子 監督・山田洋二

 黒澤明は黒澤時代劇で一世を風靡した。そして、世界の黒沢として日本映画を紹介した。「隠し剣」は「たそがれ清兵衛」を製作した山田洋二。山田洋二といえば「寅さん」だが、彼が描こうとしているのは『日本人』、日本人の良さを描くことを通じて映像に訴えたいものを持っているのだろう。彼はここに「山田時代劇」を作り上げた。まずはこの点に拍手喝采、称賛の言葉を贈りたい。想像するに彼は「藤沢時代劇」を心熱くして目頭を熱くして、読み通しながら同時に映像を心に描いているのではないだろうか。 詳細はこちら

  

 人類は文明の利器による急激な発達に伴い、文化を高めた。これは一方では素晴らしいことではあるが、人間は一方で「野生」を失った。動物としての本能的な優しさから生まれる母性愛・兄弟愛などを失って来ている。喪失の進化、これは退化というべきかも知れない。文明の利器と人間性の精神のバランス。これが顕著に狂いだして来ているように思えてならない。昔、人間と動物は共生する中で、動物としての本能的な、野生的な優しさを十分に保有していたはずである。今でも、人によって野生動物と「対話」できる人がいる。それはガイアシンフォニィー(地球交響曲)の映画の中でも、象と対話できる女性・イルカと対話できる人が紹介されていた。これを信じる、信じないという次元の問題もあるかも知れないが、本来は同じ動物として、それは可能なことであるといえる。犬・猫のペットと心を通わせる飼い主が沢山いることでもうなずける。これは決して特殊な能力ではなく、持ち合わせている能力だ。野生と獣性は根本的に違う。猛獣という呼び方は人間のエゴによる区別法である。ライオンやトラを猛獣と呼ぶ。ライオンはわが子を谷底に蹴落として自立・野生を見につけさせるが、親が子を殺したり、子が親を殺すということは決してない。これは「人間」だけが持つ獣性、獣(ケダモノ)としての野蛮性であるといえる。あるいは知の悪用乱用から来る業なのかも知れない。 詳細はこちら

  

夏の甲子園の高校野球の駒大苫小牧の優勝。オリンピックの日本の活躍。スポーツには人を感動させる何かがあるようだ。応援をするということで一体感が自然に生まれるのかも知れない。ラグビィーの京都の伏見工業高校の山口良治監督の話はあまりにも有名だ。NHKのプロジェクトXでも取り上げたられて話はよく知られている。花園高校との対戦で121対0で負けたところから始まるツッパリ生徒と泣き虫先生。この先生の良さ、素晴らしさは何といっても、その謙虚さにある。駒大苫小牧の監督さんも実に謙虚で、インタビューでのそのコメントに多くの日本人が共感と感動をしたものだ。女子マラソンの鈴木みづき選手も監督も爽やかなぐらい謙虚だった。どうも日本人は偉そうに威張る人はお好きではないらしい。 詳細はこちら

  

監督/マイケル・ムーア 主演/ジョージブッシュ

『華氏911・それは自由が燃える温度』ムーア監督の独特のユーモアセンスから来るタイトルだ。アメリカ国民にとって忌まわしき、あの9月11日の同時多発テロ。彼らはそれを911という。日本人にとって広島の原爆ドームが平和への希求のシンボルであるとするならば、WTCビルはアメリカが世界経済の中心であるというシンボルとしての象徴。それを爆撃されたのだから、アメリカ人気質としては許せない出来事だ。筆者はあの年の5月、ボストンからサンフランシスコ、アメリカ横断6600キロのドライブの途中、ニュ-ヨークのマンハッタンから抜け出すのに道に迷い、WTCの真下に辿り着いて見上げたことが、未だに甦る。翌年の5月に再び訪れた時、何ともいえぬ寂寥感と憤怒の念に駆られて、辛いよりも苦しい思いをしたことがある。日本人ですらそうであるのだからあのアメリカ人からすればやるせない華氏1000度ぐらいの想いがあるのは予想できる。そのような許せない、許してはいけない思いを、ムーア監督が華氏911というタイトルでドキュメンタリィ映画を作った。 詳細はこちら

  

主演・大沢たかお・柴咲コウ

最低。最高の駄作。映画において、「セリフ」は命だ。そのことばの意味。演技者の言葉遣い。言葉の言い回し。最初の出演者。演技者のセリフ。これでその映画のイメージが決定されてしまう。小説家が書き出しに命を懸けるように、映画も同じように思われる。
 この映画はプロローグがあって、最初の数分で5名の役者が登場した所で幻滅を感じてしまった。原作の小説も、この映画も「300万?」というから、この誌上ロードショウに取り上げざるを得ないかなあと思いつつ、ある種の「予感」があったのだが悪い方に見事に当たってしまった。本来、この書き出しであれば取り扱いしない方が好ましいのだが、敢えてお許し願おう。監督は映画界出身なのかTV界出身なのか不明だが、脚本家はトレンディドラマの隆盛を築いた人らしい。入場料を払わないTVであればトレンディのドラマ仕立てで結構だ。しかし、映画とTVを同一視された脚本では映画ファンにとってはたまらない。 詳細はこちら

  

主演 / ショーン・ペン ナオミ・ワッツ

全く別の世界に生きていたひとりの女とふたりの男の運命を引き寄せたのは、ひとつの心臓。残りの命が1ヶ月と宣告されて心臓移植をする以外助からないポール(ショーン・ペン)。優しい夫と幼い二人の娘と幸せに暮らしていたクリステイーナ。(ナオミ・ワッツ)。信仰に没頭することで心の平安を求める前科者のジャック(ベニチオ・デル・トロ)。ある日、ジャックの運転するトラックがクリステイーナの夫と娘たちの命を奪ってしまう。夫の心臓はポールに移植される。やがてポールは回復をして、どうしても心臓をくれた人を知りたいと探し始めた時、3人の運命は出会い、重なり、よじれ、予想もしなかった結末へと話は流れていく。愛・悲しみ・罪・憎悪・自己嫌悪・嫉妬、様々な感情に流されながら3人がたどり着いたのは結末ではなくすべての始まりだった・・・。 詳細はこちら

  

監督・チャン・イーモウ

しあわせの三部作最終章としての作品。「あの子を探して/原題・NotOneLess」「初恋のきた道/原題・TheRordHome」「至福のとき/原題・HappyTimes」あなたはどの作品で一番涙を流しますか。あの子=直向さに打たれて流す爽やかな涙。初恋=魂を揺さぶられて感動に震えて流す暗愁の涙。至福=ヒロインの健気さ優しさに流すセンチメンタルな涙。映画がもたらす涙は美しい。銀幕を前にしてあの暗がりで流す涙は心に愛と勇気を与えてくれる。だから映画は素晴らしい。だから映画は美しい。どうぞ流して下さいあなたの美しい涙を。心の襞に染み入る涙は、きっといつの日かあなたの優しさと情熱に還元されるはずです。 詳細はこちら

  

主演・ビートたけし

 監督・脚本・編集:北野武の手になる「座頭市」。原作・子母沢寛。一番の成功は原作の良さにある。殺陣も成功。おそらく1989年にビートたけしが「その男、凶暴につき」で初めて監督作品を手がけたときから、心に秘めて温めてきた思い入れのある作品だと言うことは全編にしっかりと出ている。映画人北野武に先ずは拍手を贈りたい。一介の漫才師から、今や押しも、押されぬ、日本を代表する芸能人への道を歩んだことにも敬意を表する。 詳細はこちら

  

主演/トム・クルーズ 渡辺謙

 無条件に降伏して絶賛しよう。グチ・もんく・屁理屈を捨てて、この映画を評価したい。アメリカ人が描いた、探求した。「侍」「武士道」は生半可なものではなく、戦前に学者が日本人を分析して「菊と刀」を著したように、かなり研究して「武士道」を描いている。
どちらかというと美化しすぎているぐらいだが、日本人としてはうれしい限りだ。
 これは監督・製作・脚本を手がけたエドワード・ズウィックの実力だろう。今まで描かれた日本映画にはがっかりさせられ続けてきた。しかし、この作品には大きな矛盾はない。「グラディエーター」の脚本を手がけて実力もあり、ハーバード大学で、かのライシャワー教授に学んだことも大きいかもしれない。「恋に落ちたシェイクスピア(99)」「Iam
Sam(01)]をプロデユースしているという幅の広さにも驚嘆する。
 トム・クルーズも無条件にかっこよかった。渡辺謙の迫真の演技も賞賛に値する。唯一の女優として出演した小雪も素晴らしかった。おそらく筆者の目に狂いがなければ、これからの映画界を代表する女優になるだろう。はまり役といえばそうかも知れまいが、昔の日本人女性の慎ましくも控えめで芯の強い女を見事に演じていた。
 この映画には風景としての日本のよさが描かれている。日本人が忘れかけようとしている、日本人の精神、アイデンティティを、当事者である日本人よりも美化して捉えている。
「葉隠入門」で三島由紀夫が、武士道とは死ぬことと見つけたり、と著したのを巧みに借りて、主人公の勝元(渡辺謙)が、「どのように死んだか」という天皇の問いに、トム・クルーズ演じる南北戦争での西部のサムライに「どのように生きたかを話したい」と答えるセリフは感動ものだ。監督が、脚本が映画の高で最も言いたいセリフが一つあるとするならば、日本人とアメリカ人の侍とサムライの違いとして、『生と死』をテーマに訴えたいのかもしれない。
大袈裟に言えば、日本人の精神史を語るに、今、2003年から今後の10年は、明治維新のような重要な時期なのかもしれない?このままでは間違いなく日本人は、日本人の心としてのアイデンティティを国際化という濁流に飲み込まれていこうとしているのかもしれない。政治・経済を最優先して、国際化が正しいとする考えには大いに疑問が持たれる。
東洋があり、西洋があり、それぞれが主体性を大事にして、それぞれの国家としての個性を重要視した国際化でなければならない。もし、監督エドワード・スウィックが問題提起としてこの作品を日本人に贈ったとするならば、日本人は「日本人の魂」について、もっともっと考えなければならない。また、映画というものは、そのようなメッセージを贈るものである。 詳細はこちら

  

主演/ラッセル・クロウ

 1805年、ヨーロッパ征服というナポレオンの野望の前に、多くの英国軍兵士の命が犠牲となっていた。その過酷な戦場には、未だ幼さの少年たちの姿もあった。あるものは軍人の家計に生まれたために、あるものは苦しい生活から抜け出すために、少年たちは戦う術も知らぬままに、死の恐怖を必死に押し殺しながら、激しい戦闘に加わった。英国海軍フリゲート艦<サプライズ号>にも、そんな運命を背負った少年たちがいた。彼らが他の少年たちと異なる点は、ただ一つだけーサプライズ号には、不敗神話を誇る伝説の艦長、通称“幸運のジャック”と呼ばれるジャック・オーブリーがいた。どんな暗闇の中でも正しき道を照らしてくれる、人生の導き手が・・・。(パンフレットより) 詳細はこちら

  
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