隠し剣 鬼の爪

主演/永瀬正敏 松たか子 監督・山田洋二

 黒澤明は黒澤時代劇で一世を風靡した。そして、世界の黒沢として日本映画を紹介した。「隠し剣」は「たそがれ清兵衛」を製作した山田洋二。山田洋二といえば「寅さん」だが、彼が描こうとしているのは『日本人』、日本人の良さを描くことを通じて映像に訴えたいものを持っているのだろう。彼はここに「山田時代劇」を作り上げた。まずはこの点に拍手喝采、称賛の言葉を贈りたい。想像するに彼は「藤沢時代劇」を心熱くして目頭を熱くして、読み通しながら同時に映像を心に描いているのではないだろうか。
 「哀しさの中にある美しさ」「哀しきが故に美しい儚さ」これは日本人独特の感慨だろう。おそらく西洋人には容易に理解しえぬものがあり、それは同時に東洋人にも、その日本人の良さを掴めぬものがあるだろう。そして、日本人にしても21世紀の今、「哀しい美しさ」など見向きもされず誰も見ないだろう。だからこそ見つめて欲しいという監督山田の主張があるのだと思う。忘れてはならないもの、大事にとっておきたいもの、それを映画にするのが、彼の夢であり、使命だと揺り動かされるものが情熱となって作品に仕上げられるのであろう。山田時代劇の良さは日本人の情、「優情」(筆者の造語)と殺陣に見られるカッコ良さにあるだろう。脚本に散りばめられている、さりげない「台詞」にもはっとするものがある。許しえぬ「人間の業」、「不条理」その中で生きてゆかねばならない、「人の営み」それは今尚あるものであり、洋の東西を問わず人間が生きている限りにおいて続くものであり避けられぬものであるが、ただ屈服するのではなく「人道」を踏まえて抵抗する。その中にある「哀しみを帯びた美しさ」
 大枚800円も支払って買い求めたパンフレット。1ページ目のキャッチコピーが『幕末、愛に生きる侍がいた』。あぁ~、なんと貧弱な発想かと悲しくなってくる。一般受けを狙ってなのだろうが、愛に生きることが出来なかった時代なのだ、だから、監督の山田洋二は、ヒロインのきえ(松たか子)に「好き」という思いも持たせず、言葉も遣わせなかったのだ。愛すること、好きだという思いも自由にならなかった時代の時代劇だからこそ、描けるモノがあるのだ。「雪深い北国でひたすらつつましく大声を出すこともせず、身の丈にあった人生を静かに生きることをした侍たちを、敬意を込めて描きたい、と願った。(中略)僕たちは渾身の力を込めてこの作品を作り上げた」この思いに対してなんと失礼なことだろう。おそらく、藤沢も山田も最後に主人公の片桐宗蔵(永瀬正敏)に、きえを迎えに行かせずにそのまま蝦夷に行かせようかどうしようか、かなり迷ったのではないだろうか?あの時代の「愛」を描くならば、そのまま黙って行くというのが日本人・侍であるように思う。永瀬・松の共演が彩を放った。キャスティングも素晴らしかった。
 21世紀の今、自由に夢を持つことが出来て語ることができる時代である。しかし、自由であるが故に、その価値観が認識されず必要性も「軽い」のだろうか?子供たちは自由な日常生活に充足感を持っているのだろうか?志しを持たせる。夢を持たせる。目標を持たせる。これが今、一番大事な教育ではないだろうか。本物を学び、本物の映画を見れば、子供たちもきっと気づくと思う。大人たちがウソを蔓延らせないことだ。

  
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