ターミネーター3

主演/アーノルド・シュワルツネガ-

『正義より大切なものは思いやり』この夏休みに何百万人の小中高生がこの映画を見ることだろうか?『勧善懲悪』の前には何をも許されるというのだろうか?T1(’84)から20年、シュワちゃんをスターダムにのし上げたこの作品は世界的メガヒットして100億以上を売り上げている。T1.T2はそれなりの面白さがあった。しかし、今回の作品はアクションにしろ、カーチェイスにしろ、20年の進歩に拍手を贈るよりも度を越してしまってここまで来てしまうと「暴力」になってしまっている。痛快無比の条件は愉快でなければならない。これでもかこれでもかと念を押されると不愉快と化してしまう。ハードさ=痛快には決して繋がらないはずだ。映画は映像の世界だが、本の中に行間を求めるように、映画の中にも観る側の主観的な空想映像が欲しい。100パーセント見せ付けられてしまうと、製作者の押し売りが強すぎてしまう。その分、面白さが割引されてしまうのには映画の深みがなくなって淋しく思う。この手の映画にそれを求めるのが酷というものだろうか。
しかし、アクションが暴力的になりすぎると、この映画を観る半数以上が若年層だと思うと心配をしてしまう。ある面から言えばカッコイイに違いない、悪人・ターミネーター(殺人機)をやっつけるためには何をしても良い、残酷な場面もOKというのは考えものだ。最後のセリフにも問題がある。「戦い続けろ!戦いは始まったばかりだ。」というラストメッセージは、911(ツインタワー爆破テロ事件)の今の時期を考えると、深刻に悲観して考えてしまう。人類対ターミネーター(殺人機)・スカイネット(機械)との戦いを意味しているのは、間違いなく大人には判る?しかし、日米とも少年問題に21世紀の大きな課題を抱えていることを考えると、この映画は単なる暴力映画となって陳腐化してしまいそうで恐ろしさがある。目くじらを立てて論ずることの方が陳腐だとお叱りを受けるかもしれないが、小中高生がこの夏、楽しみに映画館に行き、映画会社も力を入れて興業収入を目指すならば、やはり心配だ。T1.T2にはまだラブ・ストーリィーとして観る要素もあった。今回はカーチェイスの撮影現場をLA(ロス・アンジェルス)に場所をこだわったという点においても、その分、尚のこと暴力的過ぎて、ラブ・ストーリィー的要素は探さないと判らないほどになってしまっている。T2でシュワちゃんに対抗するターミネーターを強くしたので、今回はそれ以上の敵を作るために女性のターミネーターを仕立て上げた。単純な面白さ、話題性は受けるかもしれないが、『映画の力』映画ファンとして映画の持つ社会的影響力を考えると、この作品は20年を経て駄作にしてしまった。
商業主義はお客さんがあって初めて生きてくる。儲ければそれでよしでは決してない。塾も授業も儲かっていれば、ニーズに応えているのだという単純な発想は危険だ。特に、教育の世界では、はじめに生徒ありき、はじめに授業ありきであって欲しい、というのは考えが「甘い」と批判を受けるのだろうか。正義よりも思いやり。金儲けよりも教育。何を一番にするか。これが問題だ。真の顧客満足の上での商業主義でありたい。

  
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