座頭市

主演・ビートたけし
 監督・脚本・編集:北野武の手になる「座頭市」。原作・子母沢寛。一番の成功は原作の良さにある。殺陣も成功。おそらく1989年にビートたけしが「その男、凶暴につき」で初めて監督作品を手がけたときから、心に秘めて温めてきた思い入れのある作品だと言うことは全編にしっかりと出ている。映画人北野武に先ずは拍手を贈りたい。一介の漫才師から、今や押しも、押されぬ、日本を代表する芸能人への道を歩んだことにも敬意を表する。
「座頭市」「唐獅子牡丹」「緋牡丹博徒」「仁義なき戦い」「網走番外地」「眠狂四郎」等等、かつて、興行的に深夜映画なるものを作り上げ一世を風靡した作品群。映画館は満員を極め、映画が栄華を極めていたともいえる時代。映画のクライマックスシーンでは拍手喝采が立ち起こり、銀幕では「英雄たち」が勧善懲悪の下に暴れまくっていた。屁理屈抜きの面白さがそこにはあった。その当時、観る側にいたであろう北野武が青春を彷彿させて製作者側に立つ。これは一つのアメリカンドリームならぬジャパンドリームといえるかも知れない。穿った見方をすれば、もし、北野武が芸能界に身を置かず他の業界で生きていたとすれば一介の、ただの「おっちゃん」でいたかも知れない。彼の作品にはそのような「演歌」があるから面白く、観る者の共感を得るのかもしれない。そして、彼は一貫して『強い男』を描くことに徹する。悪を駆逐するためには手段を選ばぬ強さ。これはおそらく人間、北野武の男の美学・定義・哲学なのであろう。
 俳優・ビートたけしとしての演技も過去の作品から評価して認知されて来ている。しかしながら、今回の作品においては、敢えて言わせてもらうならば、「セリフ」の言い回しに難がある。彼自身、「勝新の座頭市」に拘らず、捕われぬ「たけしの座頭市」を目指すとコメントして、それは成功したといえるが、この役柄については独特の言い回しが要求されてたけしの言い回しでは、残念ながら弱かった。勝新のイメージの強さがあまりにも強烈過ぎるということはあるだろうが、その点は否めなかったようだ。ドスの効いたセリフにして半分にしたら、盲目の座頭の強さがもっと際立ったように思える。
 ストーリーの展開、内容の面白さ、殺陣など北野映画の思い入れ満載という点では一級の娯楽映画だ。そして、ビートたけしの「挑戦者魂」には、一人の人間として心から拍手を贈りたい。今の日本人に一番欠けていることかもしれない。成功か否か、巧くいくかどうか、どんな評価を受けるかどうか。そんなことは一切お構いなし。「俺は、やりたいことをヤル!」それを実践するたけしの人間性に人気の秘密があるのだろう。芸能人として金も名声もある。だから、「ヤル」というのではなく、自分の思いに対する直向さが彼を駆り立てるのだろう。
 やりたいことを見つけるのは難しい。小中学生にとっては尚更だ。選択・判断するには知識と情報が必要である。学校・家庭・塾という限られた子供たちの世界でひたすら教科指導を強いられていれば当たり前かもしれない。点取り虫には、見知らぬ花の蜜を求める冒険心も挑戦者魂も心のゆとりもないのかも知れない。塾は子供たちにとって「夢製作工場」にはなりえないのであろうか?