スクールウォーズ・HERO

夏の甲子園の高校野球の駒大苫小牧の優勝。オリンピックの日本の活躍。スポーツには人を感動させる何かがあるようだ。応援をするということで一体感が自然に生まれるのかも知れない。ラグビィーの京都の伏見工業高校の山口良治監督の話はあまりにも有名だ。NHKのプロジェクトXでも取り上げたられて話はよく知られている。花園高校との対戦で121対0で負けたところから始まるツッパリ生徒と泣き虫先生。この先生の良さ、素晴らしさは何といっても、その謙虚さにある。駒大苫小牧の監督さんも実に謙虚で、インタビューでのそのコメントに多くの日本人が共感と感動をしたものだ。女子マラソンの鈴木みづき選手も監督も爽やかなぐらい謙虚だった。どうも日本人は偉そうに威張る人はお好きではないらしい。
 さて映画の方は、単純に泣いてしまう。スポ根もののストリーは単純で決まっていてもなぜか泣かせる。121対0から1年で18対17の勝利は、これは十分にドラマになる。それをどのように映画にするかが見ものであった。思わず体を乗り出して揺すって見てしまう、そんな場面の設定はスポーツ映画の面白さではある。映画監督の関本郁夫自身も伏見工業の出身というから思い入れようも大きかったではあろうが、校内の荒れた描写は少し大げさ過ぎた感が無きにしもあらずだった。だからといってリアルにしたのでは映画にならない。観客に判らなくなってしまうという嫌いが出てくるのだろう。そこを地味ではあるが、内面の葛藤を中心に描いたとしたら、一般受けしない。ここが、映画が商業、商売である所以だろう。もう一つの視点から言えば一流の監督かどうかの試金石がここで試されるのだろう。でも、スポーツをテーマにした映画は単純なものでいいと思った。
SAYAKA・中川家・島田花子などの配役はやっぱり×だ。間寛平は、さすがにキャリアがあるだけあって好演だった。シリアスな演技は合格でむしろ笑いの部分がイマイチだった。それにしても日本映画は配役人が薄いということもあるだろうが、どうして有名な芸能人を使いたがるのかわからない。どうしても商業ベースで俳優よりも売り上げを優先するのかも知れない。主役の照栄は元国体の槍投げの選手だけあってラガーマンらしく、合格点が付けられた。作品中に語られた、教育に対する思い、生徒への意識などはドラマではなく、信憑性があって同感させられた。おそらく、教師山口良治の想いが台詞として生かされたのだろう。これはぜひ、映画ではなく、本当に大切な先生と生徒の絆であると受け止めて、世の学校、塾の先生は実践して欲しい。本物の指導者で生徒も選手も変る。それは技術ではなく、情熱だけでなく、相手への『想い方』、抽象的に言えば『愛』であるということを、映画は物語っていた。相手を重んじること。先生と生徒は人間として対等であるという原点をしっかりと自覚することではなかろうか?
2003年、阪神タイガース優勝の陰に、山口良治監督の一つのエピソードがある。開幕前、星野監督の提案で山口氏の講演会をコーチ・スタッフ全員が聞いて、優勝のイメージトレーニング、一つの暗示を掛けたそうである。今年の阪神の成績を見ると山口効果も大なりといえるかも知れない。