Shall we dance?

主演/リチャード・ギア ジェニファー・ロペス
 映画界不滅の最高最上の性交シーンの描写に讃辞を贈る。映画後半におけるリチャードとジェニファーのダンスシーンはお互いの魂と魂の性交を美しく描き大いなる感動を与える。おそらくここから来るエクスタシィーは肉体的な結合以上のものが得られるであろう。究極のSexであるように思われた。それを描いたところにこの映画の素晴らしさがあるといえる。最近はHという言葉で表現されている性交に対して、本当の人間の結合の素晴らしさをこの映画は、これ以上は無いというぐらいに美しく耽美的に艶やかに表現した。その点で周防正行監督のオリジナル映画「Shall we ダンス?」を超えたといえる。
 ジェニファーの美しさも際立った。1969年生まれというから現在36歳。15歳前後の少女美に次ぐこの年代の女性の美しさがスクリーン全体に映し出され、最近の映画でもこれほどヒロインを美しく撮った映画もなかったように思える。それぞれの場面に合った衣装は完璧で、これほどセクシィーで美しいエロチシズムも他にないほど、素晴らしい完成度であった。タイトな衣装に包まれて上で浮き出るシルエットは、正に「美」、芸術である。日本の下品な風俗で表現されているヘアーヌードよりも遥かに美しく、真にエロチックだ。
リチャード・ギアの渋さ、ジェニファー・ロペスの妖艶的美しさ、脇役人のスタンリィー・トゥッチ、リサ・アン・ウォルターの演技力の素晴らしさ。映画音楽の美しさなど全ての面で傑作だ。最近、日本映画のリメイク作品が多いが、この映画はある面でリメイクが難しいともいえる作品だ。それを巧くリメイクした上にオリジナリティも出して成功している。ある日本の映画評論家は「夫婦の絆の結び直しを描くドラマ」といっているが、これは主人公二人が性交をしなったから、そう言っているようだが、そんな表面的なものでない。もし、不倫という俗的な捉え方をするならばdo・ don’tで決めるのは浅はかである。精神的な結合、魂の結合という面において、二人は性交以上のものを、ある一瞬に体感したのであろう。その一瞬の昇華の満足度が高い分だけ、俗な部分を求める必要がないということなのだ。恋愛に何を求めるか?仕事と家庭のある男と、ダンスという夢のある女。二人が一瞬のダンスの中に魂の結合をみる。それで充分に満足を得られるものがあったということなのだ。
 5月の連休にアメリカへ旅行した。生き返りの飛行機の中で5本映画を観た。これも海外旅行の楽しみの一つである。Shall we dance?を、ご丁寧に2回も観た。その上でまた、映画館で観た。それぐらい観たくなった作品といえばわかっていただけるかも知れない。終始一貫して細やかな人物描写があったのも日本版のリメイクの良さかもしれない。
 Shall we study? 一緒に一緒懸命に勉強しよう。そう言ってくれる生徒を育てたい。
[Don’t say, don’t think] 何も言わないで、何も考えないで。これは映画の中でのセリフだが、夢中になるということは、何も言わないで何も考えないでするということなのだろう。勉強も同じことが言えるかもしれない。時に、なのも考えないで黙って勉強するということが、自分にとってもプラスになるだろう。二言目には言い訳・文句をいう子供たちには、教訓となる名言かも知れない。まず、教師が手本を見せることだろう。