マザー・テレサ

主演/オリビア・ハッセー
 ファーストシーン、マザーが出てきて音楽が鳴り出した時、涙が溢れてきた。それはなぜなのかは判らない。あえて言うならば、オリビア演じるマザー・テレサの姿に、そのような神々しさがあったのかもしれない。
 5年前、50歳の年にインドを訪れ、マザーテレサの修道会で朝のミサに参加した。この世のものとは思えない修道尼たちの美しい歌声を聴いた。その横にマザーが座っていた。教会の部屋に今は亡きマザーの木彫が置かれてあった。オーラというそんな陳腐なものでなく、温もりのある慈愛に満ちた気が漂っていた。抱かれる包まれる受容される空気に満ちていた。スクリーンを見てそのようなものを思い起こしたのかも知れなかった。
○ 真実のドラマが、あなたの心を涙で揺さぶる。
○ それはどんな困難にも負けず、愛することをやめなかった一人の女性。
○ 鋼のような強さと海のように深い愛
○ 彼女の魂は確実にこの世に残った
・ 私は神が手に持つペンにすぎません。文字を書くのは神ご自身です
・ 私達の行いは大海の一滴にすぎません。何もしなければその一滴も永遠に失われます
・ 愛するにはまず笑顔から始めるの 神に対する愛のしるしよ
・ 希望を失った者に光を与え苦しむ者の顔に神の顔をみること
ひとりでも多くの人に見て欲しい作品。これは映画というよりも「マザーテレサ物語」としての映像として観ていただくほうがよいのかも知れない。全てがマザー中心である。
「平和」という言葉がよくつかわれたが、これは監督と主演、オリビア・ハッセーの20年の積年の想いがなせる業としてのセリフだったのかも知れない。
 ボランテイア活動というが、それがいかに大変なことであるのかをこの映画は語っている。同時に、その素晴らしさも語っている。マザーは紛れもなく「人間」であるが、神に一番近い人間であろう。しかし、一歩ではこの混沌とした混乱の世界に、蔭で世のため人のために尽くして下さるたくさんの人がいて救われているのだろう。どう生きるべきか、どのように生きなければならないか、それを自問自答するには最高の映画だと思われる。
 オリビアの俳優としての執念であり、愛を見た。オリビアはマザーになりきっていた。ある面で人は自分が思った自分になりきって生きているのかも知れない。幸不幸も、成功失敗も、それは誰のせいでも人のせいでもない。人事の及ばない、人為の及ばない世界のことは別にして、この世に起きることの全ては、我が意がつくった世界で人は生きているのではなかろうか?「信仰」という偉大さ、強さもマザーの生き方の中で証明されている。
『祈り』という魔法の力は非科学的であり、最も科学的であるというのは、小生の管見ではあるが、人は人として、宇宙の存在の中で生かされている一個の生命体としての自覚のもとに、もっと真摯にもっと謙虚に生かされて生きていくべきだと思った。
 宗教をこえた存在として、マザーを受容させていただいて、生き方を学ばさせていただく。それが愛と平和への一歩のような気がした。